松阪観光。

というわけで、松阪旅行です。
今回の松阪への旅のミッションは、自分がウィキペディアの記事を書いた江戸時代前後の松阪人、松本駝堂とか角屋七郎次郎とか角屋七郎兵衛とか奥田三角や、いくつかのお寺に関する調べもの、としました。あまり発見がないかもしれないけど。


やー、風景がなつかしくてよかったです。
幼いころに過ごした風景ってなにものにも代えがたい感慨があるもんなんだなあ。住んでた頃はいまいち気付かなかった。こどものころにもみたことある建物がずいぶんボロくなっていました。



ここは全然かわってなかった。こどものころからよく食べた汽笛亭。



メニューはこんな感じ。伊勢の伊勢うどん、松阪の肉うどん、名古屋のきしめんなどが食べられる。フルコース(全部のせ)もある。



伊勢うどん大好き人間だから伊勢うどんたべたよ。この太くてやわらかい麺がいいんだ



そして近鉄櫛田駅(松阪市)に来ました。櫛田駅に貼られている「ていすい歴史探索マップ」。1歳から大人になるまで住んでたところなので興味深いテーマばかりです。



松阪市豊原町。近鉄櫛田駅の北口近くに「堂の後公園」って公園がある。そういう地名ではないからなぜなのかと思ったら実はこのあたりは平安時代に「大蓮寺」っていうお寺があったそうなんですね。それで堂の後なのかな。関係あるのか知らないけど。


それと別に、「大雷寺(あるいは大雷音寺)」っていう奈良時代の七堂伽藍の寺社跡(三重県松阪市和屋町)にも実はけっこう興味があるんです。かなりでかい寺社群だったとか、織田信長の時代に信長の兵に焼かれまくったとか、トラックいっぱいの瓦が発掘されたとか。いまは田んぼばっかりの場所。気になる…。
この奈良時代の大雷寺が信長に焼かれたとき、お寺にあった薬師如来はなんとか焼失を逃れて、それがきっかけで、いま櫛田駅近くにある光蓮寺ができたとか。



その光蓮寺です。
小学生のころの図工の時間にクラス一同で絵を描いた思い出がある。大人になってからお寺の歴史を知っていろいろ興味深くなりました。



それからここは、古めの黒いブロックの上に比較的新しいブロックが積まれたゆるめの坂道。
かつては古いブロックしかなかった。
とても幼い頃、母に上に登らされ、飛べと言われた。二段の所は飛べたけど三段は無理だった。怖かった。何年たっても通るたびにそれを思い出した。



おひるごはんは、今回のちょう重要ミッションのひとつ、松阪駅近くの「不二屋」(不二家じゃないよ)の「やきそば」という名前のかたやきそばを食べました。よく話すんだけどほんとこれが好きなんですよ。定期的に強烈に死ぬほどたべたくなるんです。ウスターソースがうまいんですよ。太いめんと、とろみが固めのあんがおいしい。



それからここは、とっくの昔に閉店したんだけど松阪駅ちかくにあったアニメショップ「KURA」。倉を改造してアニメショップにしたから「KURA」ってなまえなんだよねえ。建物は看板そのまま現存してる。高校生のころ、描いた同人誌を委託してくださってかけがえのない読者さまが複数できた。あと中学生のころアニメグッズいろいろ買ったんだ。



この日の松阪は祇園祭なので屋台やおみこしがいろいろでてました。ちょうさや♪ちょうさや♪ヽ(´▽`)/



続いて、ここじゃないと調べられないいろんなことが調べたくて訪れた図書館・・・は、閉まっていました。
なんか市長と市が図書館の運営でひともんちゃくあった影響もあって来年まで長期休館。残念です。残念だけどまあしかたないですね。






そして今回の探訪のメイン目的、来迎寺(白粉町)。
蒲生氏郷が松阪の町を開いた際に松ヶ島から移築させた、松阪と同じ歴史を持つ寺です。




鎖国令のためベトナムに永住した伊勢商人の角屋七郎兵衛等の供養碑。

徳川吉宗の代の幕府の命で、各地を医薬になる薬草を探し回った学者・松本駝堂のお墓。このお墓がなかなかみつからなくって翌朝再訪してやっとみつけた。


というわけで来迎寺。武将・蒲生氏郷が移転させてきて、豪商三井家が8700両かけて再興したけあって立派なお寺でした。
松尾芭蕉の歌碑もあった。



あとせっかくの松阪だからお肉もたべました。松阪牛の老舗「肉のまるよし」。ものごころついた頃から何度も通りすぎていたお店。一度はたべてみたかったんだ。

「松阪肉の由来とまるよし」っていう昭和52年に書かれた毛筆が飾られていた。達筆! あと、うしのポスター。



夜はますます駅前がたくさんのひとと屋台でごったがえしていました。
じぶんがこどものころと変わってないな。
駅前はかなりお店が撤退して商店街もあき店舗がたくさんだけど、お祭りになるとたくさんひとがくる。私もきた。